お盆にお墓の力、再発見!
去る8月13日、読売新聞の全国版朝刊第一面に、実に印象的な、写真と記事「墓石戻った 感謝のお参り」が掲載され、驚かされた。旧盆の最中の時期に、宮城県気仙沼市波路上崎野の海岸沿い、堤防の前にずらりと並んだ墓石の棹石の一つの前に、女性がしゃがんで丁寧にぞうきんで正面の文字をふいている風景。津波で流された、近くの「地福寺」にあった墓石を、住職片山秀光さん(71)が「ふるさとにお参りに戻ってきた人が悲しまないように」とボランティアらの助けを借りて拾い集めて、海岸堤防沿いに並べたものだそうだ。
12日に、この女性は、丁寧に墓石を磨き花を供えたと記されている。「墓石だけでも見つかってよかった」との女性の言葉は、実感がこもっている。墓地は、きっと壊滅的な打撃を受け、破壊され、遺骨もどうなったのかわからない状況だろう。何より、津波の去った後のTVや新聞の映像には、電車や車が考えられない形で墓地に放置された、巨大な力を印象付ける。
私の素直な感想として、「墓石の力」のすごさであった。なぜ、お墓が石なのかという証明でもある。和型の棹石には、家名、建立者、建立年月日、戒名(浄土真宗では法名)、俗名、死亡の年月日が刻まれている。正に、家族の歴史を、沈黙しているはずの墓石が、実に明確に「雄弁」に語ってくれている。女性が線香をあげ、花を献じて、手を合わせ祈ることによって、追悼、祈りの空間がそこにあらわる。人々の心を癒し、死者と生者の語う空間が生まれるのである。墓の本質は、追悼する場であり、死者を埋葬する場であるが、何よりも故人を想い出す場としての、「メモリアリゼーション」が大切で、石はそれを最も「永遠」に近く、保障する素材である。
今年のお盆中に、浅草付近の関東大震災と東京大空襲によって被災した寺院の調査を行った折、寺院が焼けて、過去帳が消失しても、火を浴びて、墓石が焦げたり、角が割れたりしている墓石に刻まれた戒名、没年、死亡年月日によって記録を復活したとの事実や、それ等の墓石が今も使用され、歴史を物語っている事の、意味深さについて浅草で百年石材業を営むS社・社長さんから伺って考えさせられた。
「お墓の力」「墓石の力」は、実にあなどれないものである。