手塚治虫の"ブッダ"に触れて"心"の大切さ再発見
東日本大震災から、早3ヶ月を迎えようとしています。皆様、お元気でお過ごしでしょうか。津波、原発の映像が、毎日流れ、人々に不安を抱かせる日々が続きました。昭和4年生まれの母は、津波が去った景色を見て、敗戦後の東京とそっくり同じとつぶやいていました。
5月28日公開の、新しいアニメ映画『ブッダ』のポスターが、東京中の駅に貼られています。今こそ、ブッダの時代であると。昭和3年生まれの手塚治虫の、原作『ブッダ』と、同じものではないはずです。しかし、作品に込めた、手塚治虫の想いは、伝わって来るはずです。
戦中派だった、手塚治虫。一生涯に、二つのことが夢だった。医師として、人の命を救いたい夢と、漫画家になって子供達に夢を届けたいという、二つの夢だ。医学博士の漫画家は、多分、世界でたった一人、手塚治虫だけのはずです。
手塚治虫は、兵庫県宝塚出身。多くの人々が、戦時中になくなって行く悲劇を、思春期に体験した。医師であっても、漫画家であっても、一貫して「命の大切さ」「命の不思議」を訴えた、すばらしい人間、手塚治虫。
人間は、生きている限り、苦難はつきものである。生まれるのと、死ぬのは、セットであって、どちらか一つはあり得ない。その命が、安心して生きられる社会は、無く、「無常」(常ならぬものは無い)である。そこをきちんと知り、生を感謝できる人間でありたい。また次の世に、いつか旅立つ人間の存在が認識されなくてはならない。
実は、そんな「命の大切さ」を自覚できる場所こそ、「お墓」なのです。お墓は、悲しみの場所でありながら、心が洗われる場所であります。手塚治虫の『ブッダ』を見ながら、震災の中での、不確実な世界の中にある、確かなものに触れたいと思います。
※マンガのブッダは、14巻あり手塚が10年を費やして書き上げた作品。
平成元年、満60歳で亡くなった、手塚自身の人生観と仏陀観が描かれている。