追悼の場としての国立墓地を!
3月11日午後2時46分18秒、マグニチュード9.0の東日本大震災が発生した。青森から千葉に至る被災地の広さと、津波、原発を伴った被害は未曾有の災害だった。4月29日現在の死者1万4616人、行方不明1万1111人、避難者12万7473人である。
身元不明の御遺体が、数多く毎日発見されている。身元を確認すべき遺族も、喪くなっているのかもしれず、傷あとの大きさに驚くばかりである。正に千年に一度の大地震だ。
先日、被災地に葬送ボランティアとして遺体搬送で活躍した青年から伺った話だが、火葬後の骨壷を、ボストンバッグに入れ、避難所に戻った遺族のことが特に心に残った。まだ、家族の生死が分からない多くの方々がいる避難所には、遺骨を抱いては帰れない。悲嘆の処理をすべき癒しの空間としての、慰霊・追悼の場所さえなく、声を押しころして泣くことさえ出来ないのである。
仏壇が流され、大切な先祖の位牌をがれきの中から必死に捜し出そうとしている信心深い東北の人々の姿が、TVの報道画面から垣間見られると、胸が痛い。都会の簡略化された法事では、今や十三回忌も省略してしまう人も出ているのに、東北では五十回忌をする方々がいる、三十三回忌が、忌明けという訳ではない。宗教色をぬいたものでも良いが、御遺骨の仮安置所と慰霊(白布のテーブルに、せめてローソクと線香、お花)する空間があれば、人々の心の癒しは、どんなにか安定するであろうか。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉が、いまだ被災地では、衣食も足りないかもしれないが、手を合わせ祈る心の余裕を取り戻せる契機が大切だと思う。そして、物資の復興の後に来る、心の復興こそ、「追悼の場としての国立墓地」である。有縁、無縁の人々すべて尊い命、救済のために命を落とした者達(自衛隊、警察、消防、公務員等)も、供にその名を永久にきちんと刻むものであるべき空間である。