パリのお墓散歩 文学者の墓参の作法 ―墓マイラーpart1―
2月下旬のパリは、思いのほか暖かかった。フランスの火葬場・葬儀場・墓地の研究のため、(社)火葬研の研修旅行に参加した。総勢わずか9名。しかし、特殊な研究分野にもかかわらず、人数は多いともいえる。リヨン、グルノーブル、シャンベリ、パリと4日間毎日、火葬場、葬儀場、お墓三昧の日々である。初めて、お墓の研究のためにパリに来たのは、(社)全日本墓園協会欧州墓園視察団に参加した1986年だった。あれから、24年の歳月が流れる中で、パリのお墓には5回ほど訪れている。なんといっても、パリのお墓は、美しさと表現力のすばらしさでは、世界の一級品である。
パリの地下鉄で巡る事ができる19世紀から有名なお墓は、ペールラシェーズ、モンマルトル、モンパルナスの3霊園である。特に、文学者や芸術家が多く眠るペールラシェーズは、日本で言えばさしずめ東京都の青山霊園とでもいえる。音楽家のショパンの心臓は、母国ポーランドへ帰ったが、肉体は彼が愛したパリのこの霊園に眠っている。また、「愛の賛歌」で有名なエディットピアフやロックグループドアーズのジムモリソンも安らかな眠りについている。パリのお墓は、リセ(日本で言えば高校、高等教育)の歴史と文学、芸術の授業で訪れるすばらしい場所である。
今回の発見は、パリで客死したイギリスの劇作家、作家であるオスカーワイルドの墓の変化であった。児童文学では、「幸福な王子」が彼の作品であるが、同性愛で獄中にあった「獄中記」、「ドリアングレイの肖像」他すぐれた作品を世に残した、1986年には、空を翔るギリシャの神のような彫刻であるワイルドの墓石にいたずら書きがあった。男根が、削られているとの説明があった。しかし、今回はなんとピンクのキスマークが墓石に彩られていた。グレーの御影石の磨かれない墓石の表面が、口紅の蝋が残り、しみこんでいる。一つや二つではない、前身が口紅だらけとも言える。驚くべき大変化。唖然とした私には美しく見えなかったからである。
1990年代、パリのモンパルナス墓地で、ボードレールの墓に墓参した時、黒いネクタイと万年筆が手向けられていた。先日、おひな祭りの日に日本の三鷹にある禅林寺の太宰治のお墓に参った際には香炉に線香を手向けようとした際に、先客の線香と共に太宰のすきだったタバコが二本手向けてあった。せめて、文学者の墓地を参るなら、愛情を感じる事のできる演出をしたいものである。そんな気がするのは私だけであろうか。
墓マイラー・・・「墓マイラー」とは、歴史上の人物や著名人のお墓を巡って故人の足跡に思いをはせる人のこと。 大河ドラマやゲームなどの影響により歴史好きの女性「歴女」(れきじょ)が増えたことに続き、ブームになっている。